ちょっと恥ずかしい過去
幼少時代
庭で飼っていた鶏にイタズラしようとして、逆に追い掛け回され、くちばしで突かれる。鶏に対してのトラウマが・・・。 戦歴 3戦3敗
兄の草野球を、何を思ったかキャッチャーのすぐ横で観戦。
案の定、それたボールが「ドガンッ」 顔面直撃。目の前が真っ暗になる。
目・鼻・口・耳、顔のいたる所から流血。泣きながら家に帰る。
これのせいか、鼻が少し曲がっている。そして、人よりも鼻が柔らかい。。
小学校時代
自宅での散髪時、父がバリカンの設定を間違い、頭がツルツルになる。友人の「大丈夫?」の一言が、今でも忘れられない心の傷として残る。学校では多くの友人がツルツル具合を確かめに、教室を訪れる。ちょっと人気者♪
健康食品マニアの母に、ファンタオレンジを飲んでいるところを、目撃される。母、大激怒・・・「炭酸は骨が溶けるのよ!」「あんたの骨はボロボロよ!」と脅される。今では炭酸嫌い
学校の演劇「ひこいち」で、2年連続主役の座を獲得。調子に乗って、劇団俳優を目指す・・・が、「劇団俳優って、貧乏な人多いねんで・・・」ガーーンッ・・・姉のなにげない一言により、現実に引き戻される。貧乏という言葉が大きくのしかかり、あっさり諦める。
中学校時代
モデルガンで学校帰りの友人を狙い撃ち。
ゲラゲラ笑っていたのも束の間、父からのゲンコツが下る
サッカー部でのアダ名はカッパ
(なぜカッパになったのかはいまだわからず。)
サッカー選抜試合時、サッカーボールが「ドガンッ」またもや顔面直撃
激痛と共に、次の瞬間片目が見えなくなっていることに気付く・・・
急いで病院に行く、しかし、外見上は充血しているだけと言われ治療のしようがない言われる。
「このままずっと見えなかったらどうしよう・・・」
痛みと不安で、涙がこぼれる・・・
1ヶ月後、なんとみんなの願いが届いたのか、徐々に視力が回復し目が見えるようになる。
あの時は多くの人に心配をかけたが、視力が戻りほんとに良かった!有難さが心にしみる。
高校時代
高校で初めてのイジメにあい、集団無視を初体験。イジメられる苦しさを知り対人恐怖症に。結局最後は、主犯格が無視されるはめに。悪いことはしちゃいかんなーとつくづく思う。
あくびを大きくしすぎて、アゴが外れる。部屋で一人かなりパニックになる。油汗ダラダラ・・・考えた末、自分ではめることを決意。「ふんっ」勢いはよかったものの失敗、ズレてはまる。現在、大きな口を開けると、アゴがズレているのがはっきりわかる。
高校卒業後、大阪へ
服飾の専門学校 エス・モードジャポン大阪校入学
奇抜な髪型や服装だったので、周りの人から変な目で見られる。でも、そんな視線も当時は勘違い・・・行き過ぎた勘違いは逆に幸せ、この時はこの時でものすごく楽しかった。本当の仲間と想える奴らと出会う。
課題の多さに、エス・モードジャポン自主退学。一年も続かず、根性無しの烙印を押される。
友人とインディーズセレクトショップを始める。・・・しかし、あえなく失敗。
これではいかんと就職活動。のち、イッセイ・ミヤケグループ入社。
友人に連れられ行った大阪老舗珈琲店のコーヒーに衝撃を受ける。コーヒーに特別な興味を持ち、独自のコーヒー研究を開始。自分の中で何かが動き出したとき。
イッセイ・ミヤケグループ退職し、和風創作料理店へ。
・・・だが、どうしてもコーヒーの事が頭から離れず、半年で退職。
衝撃を与えられた老舗珈琲店へ、タイミングよく募集しているとのこと面接を受けると合格。修行始まる。
老舗珈琲店は普通の喫茶店とは思えないほどの忙しさであったが、
今までの仕事とは全く違ったやりがいを感じる。天職という言葉が頭をよぎる・・・。
「俺は天才なのでは・・・」自分が淹れたコーヒーの味に感激。
だが、案の定、その次の日にはかなりの失敗「おれはなんて才能がないんだ・・・」そんな楽しい毎日が続く。
老舗喫茶店のマスターとしてTV出演。顔出しは恥ずかしいので断る。
「もっと多くの事を、高い所を目指したい」独立も視野に入れつつ、老舗珈琲店退職。
珈琲店店舗調査、300店舗を越える
次はどこで働こうかと独立も視野に入れつつ、旅行三昧の日々。
沖縄のコーヒー農園、世界遺産、洞窟で神との出会いなど、怪しい話になるのでここでは割愛。
旅行にて、初の上海へ。上海は可能性に溢れていた。熱い人との出会いにより決意する 『ここ上海でチャレンジするぞっ』
2003年10月 上海生活へ
一ヵ月半後、勢いだけで上海生活突入。
上海の状況を知るため、古北新区の自家焙煎珈琲店勤務
色々な素晴らしい人達との出会いの中で”大切なモノ”を沢山もらう
自分を見つめなおす「何のために上海に来たのか?」「このままカフェで一生働くのか?」何かが違う。自分の求めているものは・・・
珈琲の師匠となるN氏との出会い。
焙煎から抽出まで、N氏のコーヒー理論に衝撃を受ける。
野村が6年間悩み続けたコーヒーに対しての問題がほとんど解消される。
メディアなどに出ているようなプロと呼ばれる人間ではなく、本物(プロ)はやはりレベルが違うのだとつくづく感じる。
2004年4月 上海で会社設立
上海愛儂蘭貿易有限公司
Altneuland Coffee(アルトノイラントコーヒー)設立
上海にて、一人電動自転車でのコーヒー豆宅配をスタート
同年6月、『 alt-coffee.com(アルトコーヒードットコム)』にてインターネット販売開始
夜は焙煎、昼は電動自転車で地図を片手に上海市内を走り回る。そのおかげで、上海の抜け道に詳しくなる。
コーヒー豆の宅配中に、タクシーと接触。道で横転する事故にあい死にそうになる…
道端で元気に中国人運転手ともめ、野次馬に取り囲まれる。なぜか野次馬達が野村を擁護してくれる。
昼は配達、夜は焙煎。過度の睡眠不足から焙煎中に深い眠りへ・・・
ハッと目が覚めた時には、目の前の焙煎機がボーボー燃えており、危うくバス爆発で死にそうになる…
2005年12月 上海北外灘にて工場兼店舗オープン
「工場」兼「実験室」をコンセプトに上海の旧日本人租界地である北外灘に工場兼店舗をオープン
2005年10月〜ゴタゴタ内装工事
アルトコーヒー北外灘店では、これまでに数百店舗を視察した結果、抽出法は「松屋式ドリップ」を採用
コーヒー教室も2005年から本格化
店舗だけでなく、カフェやレストランへのコーヒー豆の卸し、イベントやセミナーへのコーヒー提供などを行なう。
■ 中国上海コーヒーへの熱き情熱 上海に夢をかけた男(動画)
2012年3月 大手企業のプロジェクトへ参加
日系企業との中国向けコーヒープロジェクトへ参加
プロジェクト企画、焙煎機の制作、オリジナルブレンドの制作、コーヒーマシンの設定などを担当
メディア掲載
イベント・ワークショップ
2014年3月〜
佐賀に鍋島焙煎所をオープン。【 " Have a nice coffee. " 】として活動。
Facebook、Instagramにで情報配信
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